過多より偏り

思うこと、想うこと、事のこと

気温よりも季節に囚われている

暑いですね。暑すぎるほどに暑い。

 

8月ももう終わり、夏も終盤で店には秋服が並ぶはずの世の中だけれど、去年は10月でも夏のような暑さを感じていた記憶があります。

毎日何かしら楽しんで生きているつもりなのに、先週何をしていたかはあまり覚えていなかったり。なんで8月終わるんだろう?

 

8月に期待して7月を終えたんですが、8月早々に人生のターニングポイントがありまして、改めて"決断する"という壁に直面しました。

決断するってめちゃくちゃ難しいというか苦しいというか。ノリで壁に向かって走りだしたのに、壁が思っていたより高くて超えるか迷いだすような。わたしにはあまりにも決断力がなくて、やたら優柔不断だというのを忘れてしまっていました。

自分の後悔しない選択肢が目に見えていたらすぐ判断できるけれど、全く想像がつかなければ考え込んでしまうタイプ。レストランでも、味が想像つかないものがメニューに並んでいるとなかなか決められない。そんな感じ。

 

この世は「自分と折り合いをつけること」の繰り返しだと思っていて、折り合いをつけるにはまず「自分を認めなければならない」。自分を認めるのは簡単なことから困難なことまで、当然幅広くあって、死ぬまでずっと認めたくないこともある。

そんな中、今まで違う折り合いをつけていた出来事に真正面から向き合わなければならなくなって、わたしにとっては嫌で嫌で悲しくてしょうがない事だったのですが、土壇場で当初のノリを取り戻し乗り越えました。一回しかない人生だし、機会があればいろんな経験しときたいよね!

ノリは取り戻したけれども、不安は拭い去れていなかったので気持ちが落ち着くまでとても怖かったです。メンタルがゴミカスなので……。

 

わたし以外からすると大したことない事かもしれないけれど、わたしにとっては重大な事で。人々みんなそうだと思うので、他人に対して基本的に何事にもきちんと向き合いたい、できるだけ。

特に相手の気持ちやコンプレックスを読み取らずに揶揄するような人にはなりたくない。自分で認めたくないことを他人から無闇に突かれるなんて、嫌で辛くて悲しくて苦しいから。さすがに、自認して直してほしいことはわざと突くけどね。ごめんね。勝手に苦しめられるぐらいならお前のことも苦しめてやる精神だからね。

 

感じた事を文章にしてアウトプットする、って難しくて恥ずかしくないですか?

文章にする上で一番心がけているのが、「間違った認識をされない文」「誰にでも理解できる文」。心がけているだけ。で、こうすることによって、あまりにも気持ちが丸裸になった文章が出来上がる。それは文字通り、自分の心を丸見えにしてまっている。現実で言えば公然猥褻のような感じ。

でも、自分のこの感情は今しかないかもしれないから、自分のために出来るだけ細かく残しておきたいわけです。残念ながらこのブログも実は、わたしの感情記憶置き場となっていますので、得な情報などはないです。

しかし、難しいと思いながら四苦八苦してアウトプットするうちに、恥ずかしくなってみんなお蔵入りしてしまうのでした。下書きめっちゃある。

 

そんなわけで、近日中に先日ライブで涙が止まらなかった話を文章に出来たらいいな〜、と思っています。ライブ後は感情がデカすぎて、表現力も語彙力も足りずに苦しんでいましたが、感情という形なきものを文章という形に変えてでも、記憶として置いておきたい。感情も記憶もすぐに薄れるけど文章は薄れないから。9月のわたしに8月を託して。がんばれ頼む。

では、目前の秋で会えたら。

 

メンタルが夏バテしている話、おしまい。